Coelacanth



 太古の昔から彼等は其処に居た。
 長い時の流れの中で、他の生き物達がその姿を変えても。地表が凍て付き、海が氷に覆われても。かつて恐竜達と世界を分け合った魚達の始祖は、強かにその姿を保ち続けた。南の海の底深く、蒼一色に染められた世界に隠れ棲んで。未だ語られぬ歴史をその身に受け継いで。
 今も尚、彼等は其処に居る。
 時代が移り変わり、種のヒエラルキーが入れ替わっても。地表に人が溢れ、他の全ての生き物を迫害しても。在るが儘を受け止めて。
 昼間は洞窟の中で身を潜め、夜ですら他の魚の影も少ない深海を彷徨って。僅かばかりの小魚を餌に、その巨躯を養って。少ないエネルギーで生命を維持できる体質が、彼等をして苛烈な生存競争の勝者たらしめた一因だったのだろう。
 そんな風に、何億年もの時を越えて、生き永らえて来た種族。昏い海の底で、彼等はひっそりとその血脈を繋ぎ止めて来たのだった。

 そんな彼等が再び表舞台に登場したのは、全くの偶然だった。
 地引網に掛かった一尾の奇妙な魚。島の漁師達がそれを目にするのは、別にこれが初めての事ではなくて。大振りだが然程珍しくもないその魚は、時折網に掛かっては、ごく普通に食卓に供されていた。
 けれどその時は、異国からやって来た生物学者が、何故かその場に居合わせて。無関心な漁師達を余所に、その魚に熱狂的な興味を示したのだった。それが世紀の大発見とは露知らず、漁師は彼の望む儘にその魚を売った。
 その個体は防腐処理を施され、学者の生まれ故郷へと送られた。そして其処で様々な研究がなされて。その結果、ただの『奇妙な魚』から『生きた化石』へと、その呼び名が変わってしまった。
 これこそが魚達の先祖で、今在る全ての生き物の始祖たる種だと。喪われた歴史が発見されたのだと。当時の人々は沸き返った。
 永遠とも言える長い年月、彼等は常に其処に居たのに。
 時を置かずして、学術目的という名の乱獲が始まった。各国から幾人もの学者達がその島へ押し寄せ、幻の魚を探し求めた。『魚の事は漁師に訊け』とばかりに、浜や市場へ顔を出し、出会う者全てにその魚の捕獲を依頼した。生きた儘の個体に対しては、懸賞金すら掛けられたらしい。その額は数億円にも上るとも言われている。
 人の手に堕ちた彼等は、その殆どが異国の地へ送られた。あるものは研究という名目で切り刻まれる為に。またあるものは単なる利権の為に。その屍体の幾つかは、標本として無機物の如く博物館に陳列され、今も人々の好奇の目に曝されている。

 彼等の平和な時は遠く過ぎ去った。数多の天敵から隠れ遂せ、厳しい氷河期すら生き抜いた彼等は、今頃になって最悪の敵に直面させられる事になった。己が種の起源たる生物に対して、欠片程の敬意すら払わぬ、人類という種によって。何時終わるとも知れぬ受難の時が始まったのだった。
 そしてそれは、未だ続いている。
 最初の発見から僅か数十年の間に、数百匹にも上る個体が捕獲されたという。彼等が棲む海域は、研究という名の破壊によって、見るも無残に荒れ果てた。
 ごく僅かな生き残りは、迫り来る脅威を辛くも逃れ、密かに他所へ移り住んだ。しかしその新しい棲息地ですら、既に人の知る所となって。次なる破壊の波が、直ぐそこに押し寄せている。
 太古の昔から、彼等は其処に居たのに。人類が地上にその姿を現す、そのずっと遥か以前から。環境の変化に耐え抜いて、微塵も変わらぬ形の儘で。蒼に染まる視界の中、圧し掛かる水の重みを甘受して、生き延びて来たのに。悠久の時を見守り続けた、その代償がこれだというのか。
 何億年をも経た最古の種属は今、人の手で滅びの時を迎えつつある。

 

―― Das Ende. ――



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