何処かの街の或る家に、その男は居ました。ずっと以前、遠い異国の地から遥々やって来たのです。
元々が無表情で無愛想な性質でしたから、誰も彼の想いに気付きませんでした。でも彼だって本当は色々と考えているのです。足元を木片に固定されて、肉体は何処にも行けないけれど。それでも尚、思考が翼を広げて飛翔する事は、誰にも止められません。海と大陸を越えた彼方、愛する祖国へと、彼は想いを寄せるのでした。
此処は寒過ぎる。私の生まれた場所とは違う。私が知っている大気は、もっと熱を孕んでいて。空には焼け付く様な太陽が輝いて。昼夜を問わず、猥雑な物音が騒がしく鳴り響いて。辺り一帯にエネルギーが満ち溢れて。そんな国に私は生を受けたのだ。
此処は穏やかで、しかし静かに思索に耽るには静寂に欠けている。かといって、何も考えられない程の熱気は無い。過去を遡れば、たかだか二千年程で先史時代に辿り着いてしまう。何処を取っても中途半端なこの国。私は余りにも孤独だ。灼熱の輝きと悠久の歴史を誇り、恥知らずな迄の活力が支配する、故郷の大地が懐かしい。
何時の日か帰れる時が来るのだろうか?あの何処までも続く地平線を、再び目にする事が出来るだろうか?
せめて何時か、一生を終えるその瞬間だけは。生まれ落ちた国の埃っぽい空気に包まれて、数千年の歴史に新たな一頁を付け加える。そんな風に死にたいと、切に願う。
それ迄は、甘んじて此処に居るとしよう。縁あって出会った異教の徒に、真の神の何たるかを教えてやろう。もしアラーの御心に適う者達ならば、守護神として彼らを護ってやっても良い。此処で起こる全ての事象を黙って見守っていよう。
…って、コラ!人が良い気分で浸ってる時にスイッチを入れるんじゃない!!
幼い少女が彼に歩み寄り、その足元に手を伸ばしました。途端に陽気な楽曲が鳴り響き、体が理性の箍を振り切って動き出します。彼の披露する滑稽な踊りに、家人から失笑が零れました。
彼はいつも、砂をかむ思いでこの一時を遣り過ごすしか無いのです。いずれ発条が延び切れば、この拷問の如き時間も終わる。ただそれだけを待ち焦がれながら。相変わらずの無表情で、流れる旋律に合わせ心ならずも四肢を翻して。自らは望まぬ笑いを振り撒きつつ。ひたすら祖国を思い続け、耐えるのでした。
でもほんの少しだけ、愚痴ってみたりもしながら。
ほら、聞こえませんか?彼の心の叫びが貴方にも…?
前言撤回!嗚呼、早く故郷に帰りたい…。
≪作者注≫
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